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発達障害のある私を育ててくれた母の話

ASDとADHDのある私を育ててくれた母のことを、母の命日に寄せてお話ししたいと思います。高校3年の春休み、満開の桜が散り始める頃に、母は病気で亡くなりました。母のことが世界でいちばん大好きなので、お葬式は現実とは思えず、夢か映画でも見ているような気分だったのを思い出します。

母と私 対照的な性格

遺伝とも言われる発達障害ですが、私と母はまったく似ていません。似ていないどころか、正反対だと良く言われていました。なので、私を育てるのに悩むことも多く、本当に大変だったと思います。

母はとても明るくて、例えれば、ひまわりか太陽のような人でした。いつも笑顔で、ハキハキと弾むような楽しそうな声で話すので、いつも人に囲まれていました。とても背が高く、ハイヒールを履いて、明るい色の華やかな服を好んで着ていました。綺麗なお姫様のようなインテリアが好きで、オシャレをして買い物や食事に出かけることが大好きでした。優しくて、おもしろくて社交的で人気者。仕事も家事もテキパキこなす、リーダータイプ。それが私の母でした。

母の実家は地主で自営業のお嬢様育ち。梅田の阪急百貨店に就職して、とても楽しそうに働く母は、売り上げ成績も良く、お客さんの中には「ファン」もおられたと聞いています。新聞記者をしていた父が取材に行った時に、母が対応したというのが両親の出会いです。その時の話を父から聞くのは今でも楽しいです。母の思い出を聞いたり語ったりするのは私にとっての癒しです。

母の愛と支え

母は、私の弟を出産した時の出血がひどく、貧血になり、解消するために鉄分をよくとっていました。また、視力が2.0もあり、見えすぎてしんどいとも言っていました。心配性で、私たち家族が病気にならないようにと、食事はほぼ全て手作りで、お菓子やパンまで作ってくれることもあり、嬉しかったです。

料理はとても上手でした。亡くなる前には私のためにレシピを手書きでいくつか残してくれていて、今でも大切に持っています。過保護なところがあり、魚の骨はすべて母がとってくれました。飴を喉に詰まらせないように、車で酔わないように、風邪をひかないように、などいつも色々心配して先回りして工夫をしてくれました。何をするにも失敗しないように、危険な目に遭わないように、ずっと心配している様子でした。

私はADHDの特性から、朝早く起きるのが苦手で遅刻をよくしていたし、ご飯を食べるにも出かける準備をするにも、とにかく何をするにも人より遅いので、母には朝から晩まで毎日、早くしなさいと注意をされていました。

母には友人が多く、家族旅行でも友人や親戚の家族を誘うので、いつも大人数での旅行になりました。私は、あまり人付き合いが得意ではないので、本当は自分の家族だけが良かったのですが、母が楽しそうだったので、そのことを伝えることはなかったです。

歌うことが大好きで、お店で歌う仕事もしていましたし、ママさんコーラスをしていた時にはテレビやラジオにも出演し、代表で話すのはいつも母でした。亡くなった後も、録音した母の声を聞くことができたので良かったです。

私の習い事にも熱心でした。ミュージカルやバイオリンのレッスンに付いてきてくれた母が喜ぶ姿を見るのは嬉しかったです。舞台や発表会で着る衣装を一緒に買い物することも幸せでした。

編み物にハマった時には、家族にたくさんのセーターを編んでくれたので、中でもお気に入りだった赤いセーターを私はよく着ていました。

母と過ごしたかけがえのない瞬間

家族でいることも楽しかったのですが、私は母を独り占めできた時がいちばん嬉しかったです。いつも家族や親戚や近所の人たちやお友達に囲まれて取り合いになる母と、2人でスーパーに行ったりテレビを観て笑ったり、買い物や食事に行ったりする時が本当に幸せでした。

母は、雷が落ちたところを見てから雷恐怖症になったのですが、ある時スーパーで買い物をして帰ろうとした時に、雷が鳴って帰れなくなり、鳴り止むまでベンチで一緒に待っていたことがありました。私は怖くないので買ってもらった漫画を読みながら、しばらく二人きりでいられることがすごく嬉しかったのを覚えています。

中学生の時に、友達と遊んでいて私のADHD特性が原因で友達とはぐれてしまったときも、母に電話をしたらすぐに迎えに来てくれたときも、友達には悪いですが、母と一緒にいられることがとても幸せでした。

それから、飼っていた犬に5匹の子どもが生まれた時、4匹は近所に貰い手を見つけたのですが、1匹だけ遠くの知らない方に貰われることになり、母と二人で渡しに行く途中で私が泣いていると、母が「あげるのやめてもう帰ろう」と言ってくれたこともありました。相手の方に謝って、近所で飼ってくれる方を探すために電話をかけまくってくれた姿をよく覚えています。貰い手が見つかって、その方がいつでも遊びにおいでねといってくださりとてもうれしかったです。母が亡くなった後、その方が当時の様子を懐かしく話してくださいました。

母が亡くなる二週間前の最後の入院の前日に、母と2人で寝ることになりました。私の寝相がよくないので、母が布団を掛け直してくれたことに気づきました。どんなにしんどくても、母親の子どもを思う気持ちはすごいなとこの時思いました。

救急車に乗る前にも、パジャマからゆっくり服に着替える母を見て、身だしなみに気をつかうのすごいな、私ならめんどくさくて人の目なんてどうでもいいからそのままパジャマで入院するだろうなと思いました。入院中も、お見舞いに来られる方にはいつも笑顔で対応していました。痛みもあってしんどいだろうに無理しているなと、私はいつも思っていました。

母の子どもで本当によかった

自分と正反対で人付き合いが下手、苦手なことが多く不器用で手のかかる私を育てることは、母にとってとても大変なことだったと思います。思い悩んでいる姿もよく覚えています。

母がいなくなって、忘れたことは1日もありません。いつも母のことを考えています。発達障害と精神疾患で悩んだときに母がいないということは、私にとってとても辛いことでした。もうすぐ命日を迎えますが、大好きな母にまた会える日を楽しみに、寿命が来るまで頑張って生きていこうと思います。母の子どもで本当に良かったです。

執筆者プロフィール

川田直美(かわだ なおみ)

障害者ドットコムのコラムニスト・ピアサポーター
Webメディアで自身の発達障害(ASD・ADHD)やHSP、精神疾患(パニック障害)についてコラムを書いています。オンラインサロンや計画相談支援でも自身の障害を生かして活動しています。生きづらさを抱えながらも日々楽しみを見つけて暮らしています。
◇障害者ドットコム 公式サイト
https://shohgaisha.com/
◇川田夫妻の発達障害日記 https://www.youtube.com/@yuichi_naomi_hattatsu
 

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