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知的障害者の高齢化問題について思うこと

(こちらは令和5年3月に書かれた原稿です。※ぜんち共済追記) 

桜の開花の話がちらほら聞かれる昨今、世の中的には年度末、また1年経ったな~と思う今日この頃です。あらためて今年1年振り返るとき、私の所属している国立重度知的障害者総合施設のぞみの園(通称「国立のぞみの園」)の長期間入所している156人の利用者の平均年齢は70歳になり、今年も9人の利用者が亡くなりました。高齢化は待ったなしです。

平成12年に介護保険制度 がスタートした頃から、知的障害者の高齢化は議論されてきました。この背景には、重度の知的障害者は比較的寿命が短いと言われていましたが、医療の発達に伴い私たちと変わらなくなった現状があります。ちなみに国立のぞみの園の最高齢者はなんと97歳!!になりました。

統計※によると65歳以上の知的障害者は全国に16万人位いるそうです。このような状況の中、私も入所者の高齢化に直面するうちに、知的障害者が高齢化するとはどういうことなのかについて様々な面から理解を深めることができたように思います 。

令和4年版 障害者白書 全文(参考資料)

知的障害×高齢化の前例がなかった支援現場

まず思うのは、支援の現場で高齢化の前例が少なかったことから、いわゆる教科書がなかったということです。高齢化すると障害のあるご本人はどうなるのか、どう支えて良いのかという見通しが持てないことからくる不安。まさに25年前の私です。

周囲で徐々に身体機能が低下して歩けなくなっていく人や普通の食事が食べられなくなっていく人、日中の支援プログラムに参加できない人、様々な病気を併せ持つ人等々が増えていきました。その人達をどう支えて良いのか、支援の現場で試行錯誤が続きました。

当時の知的障害者の入所施設では 生活訓練は得意でしたが、介護の視点や技術を持つ人は少なく、国立のぞみの園でも私も含めた支援者に腰痛者が続出しました。これがまさに高齢知的障害者の重度化(重介護化)の問題でした。対応には住環境を中心とした整備や重度知的障害者への介護知識を身につける等が必要で、怠ると支援者のマンパワーに頼り、事故が増えるということが、まさに身をもってわかりました。

知的障害者の認知症とは

そして次にわかってきたことが、知的障害者の認知症とは何か、どういうことかということです。 一緒に過ごしていた知的障害のあるご本人が、ある日を境に、今まで見られなかった昼夜逆転や異食、粗暴行為等が徐々に見られるようになります。これらの行動の異変について、原因の特定が難しいのが、言葉で伝える事の苦手な重度の知的障害がある人達です。

老眼で視力が落ちたり、耳垢がつまり耳が聞こえにくかったことがきっかけで、イライラして粗暴行為につながったり、奥歯が痛くてものが食べられない、寝られないなんて事が原因のこともありました。

時間をかけていろいろな可能性を否定していくと、最後にたどり着くのが認知症でした。その経過の中では、あらためて日常の本人状況の把握・記録の大切さも痛感しました。それ以外にも様々な調査・研究等を通じて、ダウン症の認知症の罹患率の高さや発症年齢の早さ、重度知的障害者の早期加齢化というような事もわかってきました。

親も家族も高齢化

ご本人の高齢化の前に、親や家族の高齢化があることを忘れてはいけません。世の中的にも「8050問題」「親亡き後」等で取りざたされます。

私自身もいろいろなご両親・ご家族と関わってきました。お話を聞いてみると、「重い障害がある子供が徐々に年をとっていく。それに併せて親である自分も確実に年老いていく。私たちがいなくなった後に誰が面倒見てくれるの?」特に地域で一緒に暮らすご両親にとっては不安しか無いような状況です。

20年以上親御さん達と関わってきて思うのは、私も親ですから一緒ですが、自分の子供に対しては客観的な判断が難しいと言うことです。一生懸命な親御さんであればあるほど、この傾向は強いかなと思います。その客観性を補うのも私たち支援者の仕事です。

障害がある故に生きづらい世の中ですし、決して万全とはいえませんが、障害がある人には支援者が関わらせてもらえる社会であるはずです。障害福祉サービスに頼ってほしいし、上手に使ってほしいと思います。

大切に育ててきた親御さんだからこそ、育てる上で大切にしてきたこと。今、大切にしていること。将来こんな風に生きていってほしいこと等々。身近な支援者に伝えて、ご本人が暮らしやすい支援や仕組みを一緒に考えてほしいと思います。

 

親なきあとでは無く、「親あるうちに」

また、「親が亡くなったあと 、何を残せば良いのか。何を準備しておけば良いのか」と言う趣旨のご質問を頂くことも多いですが、私がお願いするのは、ご両親・ご家族が元気なうちに、ご本人にとって「家族と一緒にすごす楽しい嬉しい記憶の財産」をたくさん残してほしいということです。

入所施設をお訪ねすると、ご本人の居室に家族の写真が飾ってあることは少なくありません。また、アルバムには、決まって満面の笑みで家族と一緒にすごす写真があり、高齢になってもそれを嬉しそうに見せてくれます。こればかりは残念ながら、私たちがいくら頑張っても残してあげることができないものです。ご本人にとっては、かけがえのない一生の宝物なのです。

まさにキーワードは「親なきあと」ではなく、「親あるうちに」です。

「良い人生だったね」と見送ってあげたい

 国の社会保障審議会障害者部会等でも高齢化に向けた様々な事が議論されています。今後に向けても、あらためて介護保険との適用の問題やターミナルケアなど、まだまだ考えていかなければならない問題はいろいろとあります。

でも知的障害がある本人が、残り少なくなっていく人生をどう生きていくのか。それに寄り添い、多くの笑顔と喜びにあふれる楽しい人生の終末期を過ごして貰うのも私たちの仕事です。

いろいろと大変な事はありますが、最後に「良い人生だったね」って見送ってあげたいですね。

執筆者プロフィール

古川慎治(ふるかわ しんじ)

現職:独立行政法人国立重度知的障害者総合施設のぞみの園(通称:国立のぞみの園)理事。

昭和の終わりに旧法人である国立コロニー「のぞみの園」入職。国立の入所施設の職員として、全国から集められた重度・最重度の知的障害者の生活支援に直接携わる。
平成15年 独立行政法人化に伴い新設された地域移行課に所属。「ふるさとの町を目指す地域移行」を担当することとなり、45都道府県300を超える市町村を移行先とする地域移行に取り組み、全国を飛び回ることとなる。
平成20年 地域や法人内での地域移行に向けた生活訓練を管理者として直接担当
平成23年 地域移行課長就任。翌年には、地域支援課長を併任し、地域移行に取り組みつつ、地域移行が難しい高齢・重度で身寄りのない人等を受け入れる法人所有の高齢・重度者に特化したグループホーム4カ所と地域での生活介護事業も担当する。
平成25年 地域移行を始めて10年。地域移行者が150人を超える。
平成28年 事業企画・管理課長 平成30年 事業企画部次長 平成31年 事業企画部長を経て
令和5年~現職。

法人が地域移行に取り組んで20年。法人内で一環的に地域移行に関わり続ける唯一の存在となる。一方で、「国立のぞみの園を売る営業職」と称して国立のぞみの園を多くの人に知ってもらうために、日本知的障害者福祉協会・全国手をつなぐ育成会連合会を中心とした様々な大会や研修等で、これまでの経験から得た知見をベースに、知的障害者を中心とした「重度化・高齢化支援」や「地域移行・地域支援」「制度や仕組み」「施設の今後のあり方」「意思決定」「親亡き後」等々をキーワードにした講演で全国を旅して回る。またそれ以外でも、国からの委託研究や調査等で全国を回りつつ、施策立案等に関わる。

全国手をつなぐ育成会連合会 機関紙「手をつなぐ」編集委員
【趣味】訪問先で仕事の話をしつつ、現地の美味しいものを飲んだり食べたりすること。
【特技】比較的誰とでもお友達になれ、馴れ馴れしくすること。

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