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「重度障害者は生きている価値がない」――そう思わせたのは誰なのか 津久井やまゆり園事件を通して思うこと

2026.09.02 2026.9.2

あの津久井やまゆり園事件から、10年が経ちました。障害のある人19人が命を奪われ、二十六人が重軽傷を負った、日本の障害福祉史上、決して忘れてはいけない事件です。

この節目に放送されたNHKのクローズアップ現代『津久井やまゆり園  職員たちの10年』を観ました。番組を通して印象に残った津久井やまゆり園の職員たちの言葉について思うことを述べてみたいと思います

私たちは障害者を一人の人間として見ていただろうか

犯人である植松聖被告は、「障害者は生きている価値がない」という優生思想を口にしていました。もちろん、その考えは絶対に許されるものではありません。

しかし、番組内で印象的だったのは、犯人ではなく、当時やまゆり園で働いていた職員たちの証言でした。彼らはこの10年間、

「私たちは障害者を一人の人間として見ていただろうか。」
「無意識のうちに見下していなかっただろうか。」

そんな葛藤とともに、自分たちの支援が正しかったのか自問自答を続け、支援を見直してきたそうです。

番組では、当時の施設で身体拘束や施錠が行われていたことにも触れていました。もちろん、強度行動障害のある方への対応には難しさがあります。安全を守るための判断が必要になる場面もあります。

だからといって、「この人には自由はいらない」「この人は自分で決められない」という発想になった瞬間、その人の、人としての尊厳は失われてしまいます。

私は、この番組を見ながら、自分自身のことを考えました。

「介助の前には必ず説明し、同意を得ること」

私は移動支援従事者の資格は持っているのですが、それとは別に居宅介護の資格をとるため現在、勉強中です。先日その一環である介護職員初任者研修で、半身麻痺の利用者さんの更衣介助を学んできました。
そこで何度も教えられたのが、「介助の前には必ず説明し、同意を得ること」でした。

「今からパジャマを着替えますね。よろしいですか。」
「黄色と水色、今日はどちらにしますか。」
「体の向きを変えますね。」
「お尻に触れますね。」
「苦しくありませんか。」

一つ一つ声をかけながら介助を進めます。介護の技術より先に、人として相手を尊重する姿勢を学んだのです。

考えてみれば当たり前のことです。相手が自分で着替えられないからといって、

何も言わず服を脱がせる。
勝手に服を選ぶ。
勝手に体を動かす。

もし自分がされたら、どんな気持ちになるでしょうか。障害があっても、高齢であっても、人としての尊厳の大小は何一つ変わりません。ところが私は、普段の移動支援の仕事の中で、それができていませんでした。

利用者さんがお金の管理が苦手だからという理由で、駅に着くと何も言わずリュックを開け、財布を取り出し、お金を払って飲み物を買う。そんなことを当たり前のようにしていました。

でも、あるヘルパーさんは違いました。

「リュックを開けてもいいですか。」
「お財布をお借りしますね。」
「こちらのお金で払ってもよろしいですか。」

一つ一つ確認しながら支援をしていたのです。

その姿を見たとき、私は恥ずかしくなりました。そのヘルパーさんはきっと「本人の尊厳を守ること」を支援にあたって重視されていたのです。

私と彼女の違いは、とても大きいと思います。

「この人には分からないから」「説明しても理解できないから」「時間がかかるから」と、本人を飛び越えて支援をしてしまうその一つ一つは悪意ではありません。効率を考えた結果かもしれません。親切心かもしれません。

しかし、その積み重ねが、「障害者は自分で決めなくてもいい存在」「障害者は意思を尊重しなくてもいい存在」という空気をつくってしまいます。

優生思想は、ある日突然生まれるものではありません。

日常の小さな差別。
小さな見下し。
小さな決めつけ。

その積み重ねが、社会全体の価値観になっていくのです。

この事件を一人の犯人の問題だけで終わらせてはいけない

だから私は、この事件を植松聖という一人の異常な人間の問題だけで終わらせてはいけないと思います。

私たち支援者はどうだったのか。
家族はどうだったのか。
学校はどうだったのか。
社会全体が、障害のある人を対等な一人の人間として見てきたのか。

そこを問い続けなければ、同じことは形を変えて繰り返されます。

昔、精神科病院では、患者さんが檻のような部屋に閉じ込められたり、長期間身体拘束を受けたりしていました。

「あの時代はひどかった。」

そう言って終わらせるのは簡単です。しかし、本当に過去の話なのでしょうか。

説明もなく本人の持ち物に触れる。
本人の意思を確認しない。
選択肢を与えない。
「どうせ分からないから」と決めつける。

それもまた、尊厳を奪う行為です。程度の差はあっても、その根っこは同じではないでしょうか。

一人の人間だから尊重する

研修とテレビ番組。この二つが重なって、私は改めて自分自身の支援を見直そうと思いました。

障害があるから尊重するのではありません。障害があっても、一人の人間だから尊重するのです。その当たり前のことを忘れた瞬間、支援は支配に変わります。そして、その支配の延長線上に、あの悲惨な事件があったのではないか。私はそう感じています。

皆さんは、どう思われますか。

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執筆者プロフィール

立石美津子 (たていし みつこ)

著述家
20年間学習塾を経営、現在は著者・講演家として活動。
自閉症スペクトラム支援士

『一人でできる子が育つテキトーかあさんのすすめ』
『はずれ先生にあたったとき読む本』
『子どもも親も幸せになる発達障害の子の育て方』
『動画でおぼえちゃうドリル 笑えるひらがな』
など著書多数

日本医学ジャーナリスト協会賞大賞受賞作『発達障害に生まれて(ノンフィクション)』のモデル
Voicy  https://voicy.jp/channel/4272
オフィシャルサイトURL https://tateishi-mitsuko.com/
テキトー母さんのすすめ(アメブロ) https://ameblo.jp/tateishi-mitsuko/

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