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発達障害者の家族づくり ―生存戦略のために誰かと生きるのは全然アリ!

ASDのある私。たまたま縁があっていわゆるふつうの結婚をし、夫と暮らしています。けれど、いわゆるふつうの法律婚だけが家族の形とも思っていませんし、結婚だけが障害者女性の唯一の生き残る道とも思っていません。

家族にはさまざまな形があり、どんな障害のある誰であっても、堂々と家族の絆と支えを求めていい。今回はそんなお話をしたいと思います。

■「家族」じたいがそもそも生存戦略のためのもの

何かと自己責任ばかりが叫ばれがちな昨今。経済的に安定していない人が実家家族と生計を共にしたり、結婚して配偶者の扶養下に入ったりすることが、SNSなどで批判を受けることがあります。甘えだとか、ずるいだとか。家族を自分が生きるために利用していてしたたかだとか。

でも、その指摘って真に受ける必要あるのでしょうか?

実は、ヒトが家族を作るのは、そもそもが生存戦略のためなのです。家族社会学という学問分野ではっきりそう言及されています。

私が通信制の大学院で聴講した家族社会学の教科書には以下のようなことが書いてありました。

ヒトは大人になるまでに時間のかかる生き物。子どもの間は自分で食っていくことができないので、周囲からの手厚い保護・養育が必要。子どもの健全な養育には単に食わせるだけでなく、安定した情緒的な絆も必要。

このため、社会の維持発展のためにはある程度の人数が集まり、互いに助け合ってともに暮らすことが必要になった。これが家族の始まり。

以上を読むと、「人間はそもそも誰かと寄り集まり、頼り合ってでないと生きていけないのだ」ということがわかると思います。誰かとともに暮らし、助け合うことで生きていくことは、甘えでもずるさでもない。もしこのような態度をしたたかと言うのなら、人間全員がしたたかなのです。

そもそも、現代社会の生活上の経済的安定は社会福祉が保障すべきもの。個々人の自己責任でどうこうすべきことではありません。

「経済も日常生活も誰にも頼ることなく、自分だけで食っていくべし。そうしないと恥ずかしい」という考えのほうが、最近出てきたイレギュラーなものなのです。

■家族の形は無数にあっていい

私が家族社会学の講義で学んだことはもう一つあります。

実は、家族の定義は「ない」のです。

しいていえば、「こういうものが家族で、こういうものは家族ではない」と普遍的に明確に言うことができないのが家族である。 …これが家族社会学の分野における、家族についての現在の共通認識なのだそうです。

つまり、結局は当人同士が互いを家族だと思っていたら家族。それについて周囲は四の五の言えない。だから、「家族を作るには結婚しなければならない」「結婚して子どもを作り育てなければならない」などと思っている人がいたら、その縛りは放り投げてしまってかまいません。

「ふつうの結婚(≒法律婚の夫婦)」は、日本の国の偉い人たちがスタンダードと考えている家族像にすぎません。

「ふつうの結婚」には今のところ、いわゆる恋愛市場での市場価値みたいな感覚が幅をきかせており、どうしても「結婚しなければならない→異性にモテなければならない」みたいになってしまいがちです。

けれど、家族には無数の形があります。

実家で暮らし続けることを恥じる必要はない。グループホームに集まる人たちも家族と考えたっていい。信頼できる人たちどうしでシェアハウスをして家計を折半するのもいい。

同性パートナーと法的な家族になりたくて必死に抜け道を考えた挙げ句、片方がもう片方を養子に迎えたという例を聞いたこともあります。養子縁組は、パートナー同士でなくても、強い信頼関係のある友人同士でも使うことができるでしょう。

パートナーとしてではないけれど、同性の友人と長期間同居するという、阿佐ヶ谷姉妹のようなケースもあります。

家族をうまく作れない場合や、作っても十分に経済的に安定できない場合は、気軽に福祉の手を借りましょう。先にも書いたように、市民の生活の安定は、本来社会で支えるべきものだからです。

■したたかに、誠実に… 家族は契約関係、愛とはその契約の履行

「ふつうの結婚」だけが家族の形ではありません。あなたが生きていくのにプラスになるような家族の形を考えていいのです。

でも、「そんなふうに家族を作るのってなんだか計算づくで、愛がないような気がする」と感じる人もいるかもしれません。

私は、生存戦略として作った家族メンバーの間にも、確実に愛が存在すると思っています。

家族について私の個人的な解釈を述べると、家族とは契約関係だと思うのです。「私とあなたは家族であると私は認める。ゆえに、私はあなたとの間で家族としての義務を果たし、権利を受け取る」みたいな。

家族は契約関係なので、メンバーの誰かがある日「えーい、お前らとの家族関係なんか今日から終わりだ!」と、家族としての振る舞いを投げ出してしまったら、彼らは家族でなくなってしまいます。

けれど、家族を続ける限り、彼らは家族の契約に基づいて、互いに対して誠実でなければなりません。何時までにお風呂に入る、何曜日の掃除は誰々が担当する、誰かを傷つけるような言動をしたらちゃんと謝る、何かしてもらったら感謝を示す… そういった互いの誠実さの積み重ねで、家族は成り立ちます。

それって、愛そのものだと私は思うのです。

だから、どんな理由で家族を作るのであっても、後ろめたく思う必要はありません。互いの家族関係が末永く平和に温かく続くように、互いに誠実を尽くしていけば、それが愛なのです。

■堂々と、自信を持って

人は結局のところ一人では生きていけません。それは障害があろうがなかろうが同じです。私たちもなに一つ恥じることなく、家族との絆や支えを求めていっていいのです。

めでたく家族を得られたなら、そのときは存分に互いに誠実と愛を伝えあっていきましょう。

執筆者プロフィール

宇樹義子(そらき よしこ)

1980年生まれ、千葉県出身、早稲田大学卒。発達障害/トラウマ性疾患当事者。 高機能自閉症(ASD)と複雑性PTSDを抱える。2023年現在、日本語教師を目指して言語学を勉強中。最愛の夫と猫(♀)と暮らしている。

【著書】
#発達系女子 の明るい人生計画―ひとりぼっちの発達障害女性、いきなり結婚してみました
80年生まれ、佐藤愛 ―女の人生、ある発達障害者の場合

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