発達障害のある子どもが小学校時代を乗り切るには?ASDの私の経験から

はじめまして、宇樹義子(そらき・よしこ)と申します。1980年生まれ、現在41歳です。今回から何回かに分けてコラムをお届けします。どうぞよろしくお願いいたします。

私は発達障害者です。学校の成績が良かったことから発見が遅れ、30歳のときに初めて自覚、32歳で「高機能自閉症」との診断を受けました。高機能自閉症は、現在の分類ではASD(自閉スペクトラム症)にあたります。

同年代の子どもたちの集団になじめなかった私。公立小学校に通っていた6年間いじめられっぱなしでした。担任教師からは虐待を受け、両親からは十分なサポートも受けられず… 高学年になる頃には二次障害の症状に苦しむようになりました。

今回は、そんな私の経験から、学校で安心できる居場所を得づらい発達障害児が、小学校時代を元気に乗り切り、その後も幸せを感じながら暮らすために必要と思うことについてお伝えします。

■不登校になれなかった子

小学校5年生ぐらいのときだったと思います。私はいじめに耐えかねて、一度だけ両親に「いじめられるから学校に行きたくない」と訴えました。

給食の時間に私だけ給食を配ってもらえない。それを子どもたちばかりか担任までがニヤニヤして見ているありさまだったのです。

父は私の両肩に手を置いて私を諭しました。

「いいか、一度休んだらきっと学校に行けなくなって、お前は小学校の課程を終えられないことになる。そうしたら将来路頭に迷うぞ。だから学校には頑張って行きなさい」。

私は父の「将来路頭に迷う」という言葉に震え上がりました。私が言葉を字義どおりに理解するASDということもありますが、何しろ私は10歳そこそこの子どもです。父の言葉は私を怖がらせるには十分でした。

そして私は、両親に対して二度といじめのつらさを口にすることなく、風邪で熱を出しても一日も休まず学校に行きつづけ、皆勤賞で小学校を卒業しました。命がけの気分でした。

私は大学入学まで、ときに過労で倒れながらその命がけの頑張りを続け、いわゆる有名大学に入学しました。しかしそこで心身に限界が。20代の10年間はほとんど引きこもって過ごしました。

30歳を過ぎたぐらいになったある日、Twitterである言葉に出会った私は衝撃を受けました。その言葉とは、「不登校にさえなれない子」。

不登校になる子の中には、「学校には居場所を感じられないけれど、家には居場所を感じられる、安心していられるから家にいる」という子もいる。いっぽう、学校にも家にも居場所を感じられない子は「不登校にさえなれない」から、結果的に不登校にならずに皆勤賞をとったりすることがある。代わりに強いストレスによって精神疾患を発症したりする。そんなツイートでした。

私は、自分はまさにこの「不登校にさえなれない子」だったと気づいたのです。

■選択肢を与えてほしかった

私はたぶん、両親から「行きたくなければ行かなくていいよ」と言われていれば「安心して不登校になっていた」と思います。でも、当時の子どもを取り巻く環境では、そういったことはなかなか難しかったのが実情です。

しかし、今は幸い、学校がつらい子にとっての選択肢はたくさんあります。それは私から見たら羨ましくも嬉しく、目を見張るほど! フリースクールや配信授業、支援学級の利用、保健室登校やスクールカウンセラーの利用などの選択肢……

それに、不安にさせてしまったらたいへん申し訳ないのですが、最近は人々の生き方の多様化と社会の不安定化が進み、「こうすれば確実に将来安泰」という生き方が存在しない状態になっています。今は、定型発達のいわゆる「デキる子」であっても、将来について確たる保証をすることは難しいのです。これを学問的な言い方では「リスク社会」と言います。

だとしたら、このリスク社会の中で、発達障害のある子どもを「普通の小学校に通える普通の子」にさせようと一生懸命になるのって、ちょっと虚しいことではないでしょうか?

■「普通の小学校に通える普通の子」にさせることを頑張らなくていい

子どもの将来を思えばこそ不安になり、できるだけ将来が保証できそうな子に育ってほしい。ああしたらいいか、こうしたらいいか、あれが良くなかったのか、とヤキモキする。それが親の愛情だと思います。

でも私の場合残念ながら、親の愛情に応えようと「普通の小学校に通える普通の子」になるために頑張るあまり深刻な二次障害を抱え、10代後半から20代を棒に振ることになってしまいました。そしてなんとか安定して仕事ができる状態になるまで、30代になってから10年ほどかかりました。

40代となった今、多少なり社会参加もし、幸せを実感しながら暮らしている私。でも小学校当時、私が「安心して不登校になる」ことができ、多様な人たちとつながって関係性を形成していけるような場に出られていたら、形はいわゆる「普通の人」とは違っても、もっとずっと早くから社会参加もできたし、幸せだと思って暮らせたように思うのです。

■本人の「楽」と「安心」を最優先に

つまり、発達障害の子どもが小学校時代を元気に乗り切り、その後も幸せを感じながら暮らすには、「本人が楽である」「本人が安心できる」ことを最優先にする。しないでもいい我慢をしないで済むように、選択肢をたくさん与える… これが一番なように思えます。

子どもがヘルシーに育つには、家庭と学校以外の居場所や人間関係が必要です。これは、その子に不登校傾向があるかどうかは関係ありません。彼らは、年代や属性の違う多様な人たちと豊かにつながることで、社会とはどんなところなのか、自分はそこをどのように生きていきたいのかを学んでいきます。

「学校に行かなくてもいいよ」なんて甘すぎるのでは、将来社会に適応できないのでは、と不安に思われる保護者さんもいらっしゃるかもしれませんが、個人的には、「負担を軽減し、安心して生活させる」ことに注力したほうが、結果的に社会適応度は長期にわたって高く保てるように思うのです。

■安心と自由の世界で

いつでも必ずつらさを受け止めて甘えさせてくれる人がいるという安心、自分の暮らす世界を選べるのだという自由の感覚は、その人を健康にのびのびとさせるはず。これからの発達障害の子どもたちには、ぜひそんな世界観の中で元気に育ってほしいと、私は願っています。

執筆者プロフィール

宇樹義子(そらき よしこ)

1980年生まれ、千葉県出身、早稲田大学卒。書ける・語れる、発達障害/トラウマ性疾患当事者。
高機能自閉症(ASD)と複雑性PTSDを抱える。母親がためこみ症だったことから、「ためこみ症者家族の会(HRAJ)」を立ち上げた。心理・福祉系の研究者を目指して大学院に進学すべく勉強中。
最愛の夫と猫(♀)と暮らす。

【著書】
#発達系女子 の明るい人生計画―ひとりぼっちの発達障害女性、いきなり結婚してみました
80年生まれ、佐藤愛 ―女の人生、ある発達障害者の場合

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