知的障がい児者の「性教育」について考える

第一回目の本日は、知的障がい児者への「性教育」の問題に関して、そして私の基本的な考え方についてお話ししていきたいと思います。今後は、シリーズ化して、知的障がい児者の性の問題や課題について、皆さんと共有できればと考えております。

さて私は、研究者でもあるのですが、自身のフィールドというものも持っています。つまり、障がい当事者へ直接支援を差し上げたり、その保護者(養育者)の皆さまとお話しする機会も沢山あります。その中で、「親なき後の問題」と同じ位、よく話題になるのが「性教育」の在り方や接し方についてです。また、話題となるだけでなく、深刻な問題として存在すると言っても良いかと思います。

では何故、深刻化するのでしょうか?
私は、まず「性」に関する捉え方には、ご両親間(お父さんとお母さんの両方がいる場合)においても考え方に違いがあるという点、次に子どもの性別と親の性別に違いがある場合、適切な(適度な距離感等)接し方が分からないという点にあると思っております。ではどうして、そのような事が起こるのでしょうか。それは、その親においても「性」に関して、学校教育の中で、またはご自身のご家庭の中で、そもそも深く関わって来なかったからではないかと考えております。私自身を振り返ってみても、学校における保健の授業は雨が降ったら実施する的な要素も多く(少なくとも私の場合)、保健体育の先生においても、特に男性教員は、深い理解があったのか疑問でなりません(勿論その様な先生ばかりではありません)。

更に悪いことに・・・(ご存じの方も多いかと思いますが)、かつて、東京都の某養護学校で性教育指導に関する事が大きな問題となり、社会を賑わせた事により、現場の先生におかれてもその指導方法に関して、困難と思われたり、そもそも、関わりたくないと思われたりしていたからです。よって学校における性教育指導も消極的になったことは否めません。そうして、あれこれ悩んでいる内に、子どもはどんどん成長していきます。気が付いたら、“どうしよう”から“なるようにしかならない(けど心配)”に変化していってしまいます。

そのような、いくつも複雑な背景があるのですが、ただ、基本的に国民性といいますか、障がい児者であろうが、健常者であろうが、「性」に対する正しい理解と「性」そのものに対して積極的に関わらない文化と言いますか、ある種“どこか避ける文化”そういうものが、根底にある気がしてなりません。それらの事が性教育を深刻化させているのではないかと思います。
そこで、これからこのコラムなどを通じて、皆さんと以下の話題(コラム)をご提供するなどして、理解を深めていければと考えています。

① 国内における知的障がい者の性に関する事件等
② 学校現場における性教育の在り方
③ 海外(英国やオーストラリア)における性教育の方法や仕組み
④ 私自身が調査した(論文)国内の特別支援学校の状況
⑤ 保護者はどのように考えているのか

です。
私自身は、このコラムを通じて、知的障がい児者への「性に関わる指導はこうあるべきだ!」と言う考えを押し付けることは考えておりません。ただ、様々な情報を提供する中で、関係者がそれぞれに感じ取ってもらい、すべきことをするという事だと思っております。性教育に関わらず、障がい児者を取り巻く課題などは、最終的に「社会の責任で解決する」というスタンスは変わりません。当事者の方々やその関係者だけが悩むのではなく、皆さまと様々な議論を重ね、私が持っている知識や経験が少しでもお役に立てればと!そして、もしかすると問題意識を持ち続けることが、我々の責任なのではないかとも考えております。

執筆者プロフィール

斎藤利之(さいとう としゆき)

1974年生、静岡県浜松市出身
一般社団法人全日本知的障がい者スポーツ協会 会長/公益社団法人日本発達障害連盟 理事/保護司
専門領域:学校保健・国際保健・障がい者スポーツ・高齢者スポーツ
本業の傍ら、都内のいくつかの大学で教鞭を執る。また、地域社会へも積極的に関与し、東久留米市子ども子育て会議会長等多くの公的な委員活動を始め、内閣府の事業も多数手掛ける。一方、障がい者スポーツ分野では、2019年ブリスベンで行われた知的障がい者の国際総合大会(Virtusグローバルゲームズ)において、日本選手団団長を務め、過去最高の金メダルの獲得に貢献。更に、Virtus Asia sports Directorとして、アジア全体の知的障がい者スポーツの発展に尽力している。

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