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ASDとADHD「併存」の生きづらさと対処の困難さ

現在45歳の私。32歳のときにASDの診断、45歳を目前にしてADHD併存の診断を受けました。ASDとADHD、二つの特性が重なり合っていたことは、私の生きづらさを倍どころか二乗ぐらいにしていたように感じています。

ASDだけだと思っていた私が、大人になってわかったADHD ―幼少期を振り返る」で過集中について書いたように、ASDとADHDが重なることで困りごとの程度がひどくなり、解決のための対処法も複雑さと困難さを増していました。

私には20代にひきこもった経験があり、30代になって複雑性PTSDの診断も受けたのですが、これには確実にASDとADHDの併存の二次障害の側面があるなと考えています。

とんでもないうっかりミスをする。実力が発揮できない

ASDとADHDの併存によって「つらさ」が二乗されていたのは過集中だけではありません。「本来の実力が発揮できない」という、かなり深刻な困りごとがありました。

落ち着いてやればもっとずっとよいものが作れるにも関わらず、課題や仕事をすごく雑に仕上げてしまう。進路に関わる試験などの重要な場面でとんでもないうっかりミスをする。長時間にわたる試験で途中で頭がボーッとしはじめ、力が発揮できない、などなど……

たとえば高校までなら、家庭科の縫い物の課題で、手先が器用なのに早く仕上げたくてイライラしてきてしまい、すごく雑に縫い上げてしまったこと。大学受験のセンター試験のとき、国語を途中まで間違って簡単なほうを解いていて、途中で気づいて冷や汗をかきながら本来解くべきほうを解き直したこと… 

子どもの頃のいろいろな「とんでもないうっかりミス」を思い出すだけでも、恥ずかしさと後悔で叫びたくなります。

うっかりミスが社会適応のボトルネックに

こうしたうっかりミスの傾向は、子どもであれば周囲から叱責を受けたり、ちょっと成績に影響が出る程度で済みます。しかし、このうっかりミス傾向は大人になるにつれ、私が社会適応しようとするときの深刻なボトルネックとなっていきました。

就職の面接に向かうとき、電車や道、指定時刻を間違えたり、忘れ物をしたりして、大幅に遅刻。もちろん不合格。面接前に携帯の電源をオフにしようとして、緊張しすぎてなぜか着信音を鳴るように設定していて面接中に鳴らしてしまう。やはり不合格。

TOEICの試験の後半で集中力が途切れて頭が真っ白になり、解き進められなくなる。専門学校の入学試験でやはり解く問題を間違え、途中で気づいて必死に挽回しようとするものの、時間が足りず、十分な実力があったはずなのに不合格に。何かの資格試験だったか、マークシートで解答欄を1列ずらしてマークしてしまい、散々な結果に…

深刻な自己否定、強い不安と過剰な努力へ

私は、就職試験や資格試験といった、自分の能力を限られた時間と方法の中でジャッジされるような場面に身をさらすのがどんどん怖くなっていきました。

自分のうっかり傾向に強い危機感を覚えた私のASDの部分は、「なんでも完璧に、計画通りに、誰よりも上手に、事前によくよく調べてシミュレーションして…」と、どんどん完璧主義傾向を強めていきました。そしてADHD部分が失敗するたびに自分を強く責め、否定する。

ASDの完璧主義と、ADHDの衝動性・注意散漫という両極端な要素が脳内でぶつかり合うことで、私の中では常に激しい葛藤が起きていました。これは到底意志で制御できるようなものではなく、毎日が非常事態の中にあるよう。1日が終わる頃にはくたくたです。

ときにASDとADHDがうまく補完しあい、行動すべきときにパッと行動を起こすことができたり、入念な対処により、うっかりの深刻な影響を回避したりできることもありました。しかし、そのように併存がよいほうに転ぶことはまれ。私は徐々に二次障害の困難を深めていきました。今の知識で考えてみて、私が当時さいなまれていたのは、抑うつ傾向や強迫傾向、不安傾向に該当するものだったと理解しています。

こうしたことの結果として日常生活がうまく回らなくなり、夜に寝て朝に起きること、日中に外に出て活動することなどができなくなって、20代の10年間はほぼひきこもりの状態で過ごしてしまいました。

45歳目前まで続いた、霧の中の苦しみ

この後私は32歳でASD、38歳で複雑性PTSDの診断を受けて、徐々に生きづらさを軽減していきますが、それでもいまいちすっきりしないまま40代となりました。

ADHD併存の診断を受け、服薬も含めたADHDの治療・ケアを始めるのは40代半ばを待つことになりますが、診断以降についてはまた別の記事でお話します。

執筆者プロフィール

宇樹義子(そらき よしこ)

1980年生まれ。早稲田大学卒。ASD、複雑性PTSD。
2015年に発達障害当事者としての活動を始める。LITALICO発達ナビなどで連載開始。 2024年、日本語教師としても活動を開始。複数メディアで活動を続けながら、次の発信を模索中。
現在、発達支援×日本語支援の分野に興味津々。

【著書】
#発達系女子 の明るい人生計画
―ひとりぼっちの発達障害女性、いきなり結婚してみました

80年生まれ、佐藤愛 ―女の人生、ある発達障害者の場合

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