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特別支援学校高等部の修学旅行に同行しました  

学校生活の一大イベントといえば、修学旅行です。特に障害のあるお子さんの場合、親元を離れて、いつもとは違うスケジュールで行動し、はじめての場所で宿泊するのですから、うちの子は大丈夫なのかと心配になる親御さんもいらっしゃることでしょう。

自閉症のある息子が通っていた特別支援学校高等部では、2年生の時に修学旅行がありました。宿泊をともなう行事には、幼稚園でも、小・中学校でもなんとか参加できていた息子ですが、高校生になってはじめて、修学旅行に私の付き添いが必要な事態になってしまったのです。

今回は、同行が決まるまでの経緯や、旅行中にどのように過ごしたのかをご紹介します。

みんなについていけないかもしれない

高等部1年のときに二次障害を発症し、不穏になって暴れたり、自傷行為をするようになってしまった息子。学校生活ではクラスのみんなと同じ活動ができず、休憩室で横になって過ごすことが増えていました。

2年生の9月に行われる修学旅行の話題がちらつきはじめたとき、私はこう思っていました。「今までの息子なら宿泊行事も心配なく送り出せたはずだけど、この状態では迷惑をかけるかもしれない。もしかしたら、私が同行なんてこともあるかも。」

修学旅行の行き先は大阪で、2泊3日です。みんなについていけなくなって、ひとり観光バスのなかでわめきながら留守番するか、暴れてバスの出発を遅らせる息子の姿がよぎりました。

学校から同行の打診

出発の数カ月前。学校から呼び出され、担任・学年主任と面談しました。案の定、修学旅行への同行をお願いできないかとの打診でした。

それぞれに特性を抱えた生徒たちの安全を、旅行中、限られた職員数で守らなければならない。集団での行動についていけなくなったとき、息子ひとりにあてがう職員数を確保できない。不安定になっている息子だから、夜はお母さんと過ごすことで安心してきちんと眠り、調子を保ってほしい。そうすることで、一生に一度の修学旅行を楽しい思い出にしてほしい。

先生方の提案からは「よく検討した上で最善と判断した」「息子の利益をいちばんに考えた」ということが伝わりました。

実はこの直前に、息子は「肛門周囲膿瘍」という病気の手術を受けていて、またすぐ再発するかもしれないともいわれていました。旅行中に症状が出たら、先生方の負担はさらに増します。

私は同行を快諾しました。最悪の場合、息子ひとりが旅行を中断して帰宅しないといけなくなるかもしれませんし、精神の安定を考えると、私とだけ同室の、刺激の少ない環境で一日の疲れを取ることが、全日程を落ちついて過ごすために必要と納得できました。

私は姿を現してはいけない

私の住む東北地方から大阪まで旅行に行けることはめったにないので、この際、自分も楽しむつもりで準備にとりかかりました。

修学旅行の行程に必要な、生徒と先生の移動・宿泊・入場券等の手配は旅行会社が請け負います。ですが私の分については下記のようになりました。

・新幹線は旅行会社が手配
・宿泊は息子と私だけ、みなさんとは別のホテルを自分たちで予約
・入場券等は私が自分で入手

私の旅費は、もちろん100%自己負担です。宿泊については息子とふたり分を支払います。

同行といっても、私がいることでほかの生徒さんたちが緊張してパニックになったり、息子が特別扱いと思われたりしないよう、生徒さんの前に姿を現すことは控えなければなりません。「宿泊は別のホテルに」と依頼されたのは、朝食バイキングなどで息子と一緒にいる姿を見られないためですし、大阪までの新幹線もみなさんとは別の車両が指定されました。

同行というより、追跡!?

当日は出発の駅で先生と添乗員さんにあいさつだけして、私は遠巻きに息子たちの動きを見ながら行動しました。ほかに同行する保護者はいないため、大阪までの移動はしばしひとり旅気分です。

新大阪駅に着いてから一行が市内を移動する大型バスにも、もちろん乗せてもらえません。
公共交通機関を利用して見学場所へ自力で向かい、息子の姿を見るとしても物陰から。もしも息子の調子が悪くなり、先生の手に負えなくなったときには電話で呼ばれるので、いつでも迎えに行けるよう待ち構えている必要がありました。

新大阪駅から海遊館、道頓堀、USJ近くのホテルへと移動する一行を、私は電車やバスを駆使して追跡しました。なんならタクシーをつかまえて「運転手さん、前のバスを追ってください!」なんてことをしてもよかったのですが、学校からも公共交通機関を使って来ていただくので十分と言われていたのと、都会を味わってみたい気持ちもあって、あえて自力で移動しました。

待機中に楽しむ余裕も

私と連絡を取ってくださるのは副担任です。

「これから○○へ移動します。落ち着いています」といったショートメールを時々送ってくださいます。私も目的地付近に着くと待機していることを先生に知らせます。
待機といっても常に集団を尾行しているわけではないので、近隣の商業施設でおみやげを見たり、カフェで休んだりして過ごしました。

会計の列に並んでいる間に「いつ呼ばれるだろう」とそわそわしていたのは最初の半日だけ。先生から「息子くんの調子が良いので、夕食のあとホテルで落ち合いましょう」と連絡があったので、一行を追いかけて到着していた道頓堀で、街の雰囲気を味わいながら串カツをいただく余裕もありました。

生徒さんたちの宿泊するホテルに息子を引き取りに行き、私たち親子は別のホテルへチェックイン。翌朝の出発時間に合わせ、また息子を送り届けます。2日目のUSJには私も入場して、先生からの報告をもとに息子の居場所を突き止め、離れた所から見守ることもありました。この日も息子が安定していたおかげで、私はひとりでショー系のアトラクションを楽しむこともできました。

一生の思い出に

息子は無事、3日間の日程をパニックを起こすことなく過ごせて、修学旅行を「楽しい思い出」として刻むことができました。

私も、本来なら見ることのなかった修学旅行中の息子の姿を見ることができて、普通の旅行以上に特別な思い出になりました。

実は私は、出発の前日に寝違えた首をコルセットで固めていたり、自分が膀胱炎になっていることに行きの新幹線で気づき、夜は眠れず、USJでは見つけたすべてのトイレに入るというありさまだったりしたのですが、それも含めて忘れられない旅になりました。
今となっては同行させていただけて感謝しかありません。

息子に障害があることで大変なことは多いのだけれど、健常児の親ではなく、この子の親だからこそ味わえた特別な体験も、これまでにいくつかありました。この修学旅行も、そのひとつ。

自分の人生、悪くないかも。そんな気持ちを拾い集めて、前を向く力にしています。

 

 

執筆者プロフィール

細川 有美子(ほそかわ ゆみこ)

1968年生まれ、福島県在住。
バックパッカーとして海外旅行中に出会ったエジプト人と2000年に結婚。現地で子供2人を出産する。2003年子供と帰国したのち、息子の発達障害が判明。夫とは2005年に離婚。
これまでに自閉症(中等度発達遅滞)・ADHD・精神障害・難病(クローン病)の診断を受けた息子の子育てと現在を、Instagramで発信。
2014年より取材・執筆活動を開始し、現在は事業所でのパート勤務、再婚の夫とふたりで米づくりにも奮闘している。
◇たきちゃん農場 https://www.takirice.com/
◇Instagram https://www.instagram.com/yumiko_days

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