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実家じまいと、私の新しい「家」

2026.10.14 2026.10.14

今年2026年の夏、私の「実家じまい」が終わりました。

私には実家でのことを主なきっかけとした複雑性PTSDがあります。順調に治療が進み、最終盤のタイミングで実家じまいが完了した形。31歳まで暮らした実家がなくなるプロセスを経て、私の中で、生まれ育った家族の物語もようやく終わりを迎えようとしています。

今回はこうした、私が実家じまいを経て自分の人生を歩き出した過程についてお話しします。

母の遺した膨大な蔵書

母は生前、図書館司書として働いていました。私が子どもの頃から家には本が山ほど。絵本や児童書は特に、ちょっとした子ども図書館並みの蔵書がありました。

私は長いこと、こうした膨大な蔵書は、母の職業病だと思っていました。でもどうやら母本人に収集癖があるらしい、と気づいたのが、私が高校の頃。あらゆることが悪いほうに転び、耐えきれず私が実家を逃げ出したのが2011年のこと。母はその後施設に入り、そのまま2023年に亡くなりました。

私が実家を出てから、母は「ためこみ症」だったらしいとわかりました。この件についての、2022年公開の記事はこちらです。

実家はほとんどゴミ屋敷! 母はためこみ症だった
https://www.z-kyosai.com/column/4211.html

あの蔵書を助け出しに

前記事の2年後、2025年の秋、私は夫と一緒に実家を訪れました。もうすぐこの家と土地を処分するという連絡を受けて、「母の蔵書だけは手元に救出したい」と思ったのです。

もともとホコリとモノだらけではありましたが、入ってみると数年閉めっぱなしの家はカビとクモの巣だらけ。夫が私の実家の中に入るのはこのときが初めてでしたが、彼はあまりの惨状に絶句していました。

私たちは母の思い出の品を、持ち帰れるかぎり段ボールに詰めて帰りました。私はその後、持ち帰った本を1冊ずつリストにしたり、小物を大事に手入れしたりを続けています。

圧倒的な「知」の家

私にとって実家は、とても一言では言い表せない場所でした。

離れて15年たった今でも悪夢に見たり、身体に症状が出たりするような、苦しい記憶がたくさんあります。一方で、あの家には圧倒的な量の「知」がありました。母の遺した絵本や児童書は、今の目で見返すと、驚くほどに選書がいいのです。

私は物心ついたときから知的好奇心が非常に強く、中高時代は「歩く百科事典」などと呼ばれていました。そうした今の私の知的態度や能力は、間違いなくあの蔵書のおかげだったと、今は思います。

また、実家から持ち帰ったものを整理していると、気づくことがたくさんありました。

母は、きれいなものが好きでした。絵本を見ても、本の次にたくさん集めていた陶器類を見ても、使っていた小物を見ても、母の美意識が伝わってきます。

少女が夢を見ているような人

不器用で、納豆のタレの袋もうまく開けられず、ボタンつけだってうまくできなかった母。私が持ち帰った彼女の思い出の品の中には、彼女が学校の「お母さんに作ってもらおう」みたいな課題で必死に縫い、私の名前を刺繍してくれた、布製のサッカーボールがあります。

縫い目なんかガタガタなのに、布の組み合わせや、糸の色の選び方が本当にセンスがいい。クリスマスの時期だからといって、生地屋さんでクリスマスの柄の布と、アクセントになる深緑の色の布を探してきてくれたのです。

私はこの期に及んでも、そういったものひとつひとつを直接に「母からの愛情の証拠」などとは考えてはいません。彼女は良くも悪くも、「まるで少女が夢を見ているような人」だったからです。

それでも、精一杯夢を見た

それでも、そうしたものたちをしげしげと見ていて、思ったのです。

「お母さんはきっと、愛と美にあふれた家庭を作りたかったんだ」

いろいろな運命のいたずらで、うまくできなかった。本当に、びっくりするほどうまくできなかった。彼女の夢は、少女が見た、「こんなふうに愛と美に溢れた家庭を作りたい」という、ピンク色の夢のまま終わったのです。

けれど、彼女は精一杯、夢を見たのです。準備していたのです。イギリス風の素敵なおうちを建てて、庭には赤いバラを植えて、ボタニカル柄のカーテン、上質なボーンチャイナの茶器、七宝焼のついた銀のカトラリー、可愛い形にかたどられたお砂糖、レース風の紙ナプキン… そういったものを揃えて、午後には家族やお友達とお茶会をして、娘はフランス人形でおままごとを…

実際にはその夢が叶うことはなく、集めたもののほとんどが棚の中にしまいこまれ、溢れて家の中を占領し、ホコリをかぶり、家族は一人ずついなくなり… 家も本も小物も、最後にはカビまみれになってしまった。

これは、つたない、愛への夢

もはや誰も訪れず、重機で潰されるのを待つだけの庭。そこに、母が一生懸命世話していたバラが立派な木になり、けなげに何輪か赤い花を咲かせているのを見て、私は夫と二人で泣きました。

私は、母のやろうとした、遺したこれらのすべてを、「尊い愛だ」と賛美することはできません。だからといって「くだらないままごとだ、愛ではない」などと言い捨てる気も毛頭ありません。

「私が助けなきゃ」をやめる

私は子どもの頃から、壊れていく家を、家族を見ながら、いつも「私が何とかしなければ」と思っていました。大人になってからも、実家を逃げ出してからもそれは続きました。

母をなんとか正気に戻したい。あの上品でおっとりした母に戻ってほしい。幸せにしてあげたい。彼女が奪われた何かをその手に返してあげたい。そのために、家族の中で何が起きたのか、それが一体なんのせいだったのか理解したい。もっと、もっと自分にできることがあるんじゃないか、あったんじゃないか。

私はずいぶん長い時間を、そういう問いに使いましたし、ずいぶんと悪あがきもしました。でもどうにもならなかったし、母も施設に入ったまま亡くなってしまった。

けれど今年、2026年の8月、実家の売却が無事終わったとたん、突然腑に落ちたことがあります。

あれは、私一人の努力でどうにかできるような出来事ではなかった。あれは私にとって、「天災のようなもの」だったのです。

天災。理不尽な偶然が重なって、突然誰かの人生に降りかかってくるもの。今では、私の家と家族に起きたこともそうだった、と感じます。

誰か一人を悪者にして、それですべて説明できるほど単純ではない。その中に生まれた子どもが修復できるような大きさの問題では、なおさらない。

たとえば大きな地震で家が崩れたら。子どもが「私がもっと上手に家を支えていれば家は崩れなかったんじゃないか」と悩む必要も、意味もないでしょう? それと同じだと思ったのです。

私は1ミリも悪くなかった。「もっと頑張れば家族を救えたかも」という前提そのものが、良くも悪くも間違っていたのです。

家がなくなって残ったもの

2026年8月、実家の土地と建物は家財ごと売却されました。

これから家は解体され、私が育った場所そのものがなくなります。

あの家には、私の人生の非常に大きな部分が詰まっています。大好きだった本もあった。近所の猫も遊びにきたし、インコや文鳥もいた。メダカがホテイアオイの浮いた大きなバケツに泳いでいたし、毎年春に花の咲くツツジの木に、カナヘビの家族が川の字になって日なたぼっこをしていた。

美しいものも面白いものもあった。絆もあった。そして、とても苦しかった。

だから私は、過去を全部否定したいとは思わない。だからといって、「いろいろあったけれど家族には感謝しています」と美しくまとめるつもりもありません。

ただ、あの場所を私は生き抜きました。それだけは事実です。

実家そのものはなくなります。でも私の手元には、母の選んだ本や食器、小物が残りました。そして何より、あの家で身につけた、言葉や物語、美しいものを愛する感覚が残りました。

家を背負っていく必要も、修復する必要ももうない。そもそも、はじめからなかった。

そのようにして、私の「実家」が終わる。

そしてたぶん私は今ようやく、自分の新しい「家」を始めようとしているのです。夢じゃない、夢に終わらせない、現実の、新しい愛の家を。

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執筆者プロフィール

宇樹義子 (そらき よしこ)

1980年生まれ。早稲田大学卒。
ライター、著者、登録日本語教員。ASD・ADHD・複雑性PTSDの当事者として、発達障害やトラウマ、働くこと、日々の暮らしについて書いています。自身の経験を手がかりに、心や体の中で起きていることを見つめながら、毎日を少し生きやすくするヒントを、わかりやすい言葉でお伝えしています。
宇樹義子公式サイト▼
https://www.sorakiyoshiko.com/

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